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ちょちょい日記

頭の中のほんのちょっぴり浮かんだ疑問を書き綴っております。

言葉と力

最近問題になっている体罰。振り返ってみると確かに身近にもあったような気がするが、誰かがそれによって自殺してしまうほど激しいものには出会ったことはない。




小学校の時、宿題を忘れて先生にゲンコツされたことはあるし、高学年のときは、問題に答えられなくて先生からデコピンされたり、教科書を忘れて廊下に立たされたりもした。クラスの生徒達全員椅子の上に正座させられて目を瞑らされて、先生が激しく涙ながら怒ったこともあった。それはある生徒が授業中、勝手に学校を抜け出したのが原因だった。確かに授業中に学校から出ていくなんて非常識この上ない。しかし、なぜその抜け出した生徒のために俺達まで怒られなきゃならないのかととんだとばっちりを受けた気分にもなったが、言わば連帯責任をとらされたわけだ。でもこう言う経験って心に残るものだし、その受け止め方も人によって様々だ。個人的には、それらの体罰には意味があったと思うし、教訓になったと受け止めている。



一昔前は、もっと激しい時代があったのではないだろうか。例えば映画やテレビドラマの世界でも30年ぐらい前は鉄拳制裁みたいなのはごく普通にあったことだし、当時大人気になった大映テレビの「スクールウォーズ」も先生が生徒を殴る描写があったが、当時はみんな感動していたし、だからこそ絶大な名作として記憶に残っているのだが、今はもうそんな時代ではないようだ。


ただ、現実社会には、未だそういうものは残っているのだろうし、じゃあどうして今改めて問題になっているのか。それは、たぶん指導者が言葉を知らない。力の加減を知らない。説得力を持たせず藪から棒に手を出しているからではないだろうか。ことさらスポーツの世界では言葉よりもまず力。熱心のあまりなんて言うが、どうも最近の体罰の内容を聞いていると、なんでも痛みでわからせれば言うことを聞くと軽々しく思っている節があるように見える。女子柔道の件なんか、力だけでなく、「死ね」とか言ってたようだし。「死ね」なんて言葉には何の意味もない。選手達がその言葉で奮い立つわけがない。体罰と言う行為にきちんとした意味を持たさなければ、それはただの暴力でしかないのだ。


などと偉そうに語ってしまったが、体罰はやはり良くない。かといって全否定もしない。やるならまずその行為についてどんな意味を持たせるのか、生徒にどう受け止めさせるのかをよく考えながらやるべきだ。

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